|
前回ご紹介した海福寺と以前にご紹介した目黒不動を両隣に持つお寺、天恩山 五百羅漢寺が今回のテーマです。
元禄8年(1695年)、松雲元慶禅師が本所に創建した寺で、自ら彫刻した536体の釈迦三尊像および五百羅漢像を安置したとあります。その後、洪水・地震等に合い、移転を重ね明治時代の末に現在の地に移ったという歴史を持っています。隣の海福寺も深川にあった豪壮な寺が洪水等にあってこの地に明治末に移転してきた歴史を持つだけでなく、両寺とも黄檗宗に属するということなので、黄檗宗本山からの指示とか援助でもあったのかもしれません。 本所にあった五百羅漢寺は羅漢堂とさざえ堂という特徴ある建物が二つあったということです。さざえ堂とは、建物の中の廊下が螺旋状でかつ下から上に向かい、一番上からは逆に下に向かった螺旋状になり、一方通行で建物の内部を全て回れるようになった構造をもつ仏教建物を意味し、本所の五百羅漢堂がその元祖だそうです。 こんな人寄せの工夫もあってなのか、将軍綱吉、吉宗の寵愛を受け、当時は大変に繁盛したお寺でした。その後は凋落し、災害にも遭い、目黒に移転してからも冬の時代が続いたのですが、30年位前から復興が始まり、現在はあまり広くない土地の中に鉄筋コンクリート造で羅漢堂、本道、聖宝殿、法堂、書院等だけでなく羅漢会館というホールまで持つに至っています。 さらには、再起地蔵という失意の人の再起を叶えるという、再チャレンジ何とか・・とかいう現政権の表看板にマッチした演出もする、芸能プロダクションが多い目黒の地の利を活かして芸能人を取り込む、目黒の田舎寺なのに拝観料まで徴収するという、隣の海福寺とは対照的に、ビジネス指向の寺となっています。
| |||||
|
|